「妹」の結婚式
こんばんは。
こばやし鷹之です。
だんだん日が短くなってきましたね。 まだまだ暑いですが、夏が名残惜しい感じがしてきました。 井上陽水さんの『少年時代』の気分です。 みなさんはどうですか?
今日は従妹の結婚式に出席しました。 母方のいとこは二人しかおらず、唯一の女性。 8歳年下ですから、彼女が生まれた時には私は物心がついていて、夏休みなどに帰省しては、オムツ替えから何まで見てきたんですね。 私と弟にとってみれば、妹同然です。 昔は、からかう対象でしかなくて、女性として見たことは一度もありませんでしたが、今日はとても輝いていて、本当にきれいだなあと思いました。
幸せそうな表情を見て、本当に嬉しかった。 披露宴の最後に、彼女が両親(叔父と叔母)そして亡くなった祖父(私にとっても祖父)に対して手紙を読みました。 育ててくれたことへの感謝の気持ちが溢れていました。 恥ずかしながら、涙が溢れ出てきて止まりませんでした。
「妹」がこんなに立派に育ったことが嬉しくて、 「妹」がこんなにしっかりした男性と人生を共に歩み出すことにほっとして、 「妹」が育ててくれた両親と亡くなった祖父に対して感謝していることに共感して・・・
仲間との絆、夫婦の絆は勿論のこと、親子の絆をひしひしと感じられる式でした。
「産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。」 「産まれてきてくれてありがとう。育ってくれてありがとう。」
親子の間には、感謝の気持ちがある。 今まで、「絆」とは、相互の信頼や尊敬から成るものだと思っていましたが、そこには感謝という要素があるのかもしれない。
英語で言う「感謝」は”obligation”。
「義務」という意味もあります。
産んだからには育てなければならない。 産まれたからには育たなくてはならない。
親と子がそれぞれに課された義務を果たすことは、感謝の裏返しなのかもしれない。 義務を果たすことによって信頼、敬意、そして感謝が生まれ、それが絆となっていく。 ふと、そんなことを思いました。
最近、親が子供を虐待する事件が後を絶ちません。
そんな中で、子供を社会全体で育てなければならない、という考え方もあります。
それはそれでいいのですが、やはり子供を育てる一義的な義務は家庭にあるんです。
社会で育てることが前面に出て、親が子を育てないことへの免罪符になっては絶対にいけない。
結局、子は親に育てられ、親は子に育てられる、と私は思います。
今日、結婚式を迎えた「妹」を見ていて、
家庭でしっかりと絆を培ってきた子供は、
社会に出ても、他者との絆をきちんと作っていけるんだなあと感じました。
少し早いですが、私も娘が結婚する時のことを思わず想像してしまいました。
親としての義務をしっかりと果たしていこうと改めて思った次第です。