【メルマガVol.5】政治主導に向けて

(以下は、メールマガジンに掲載した文章です)

「暑さ寒さも彼岸まで」。 その通り、日中は随分と過ごし易くなってきましたね。 食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。 みなさん、それぞれが充実した毎日を過ごせると良いですね。 ただ、急に寒くなったせいか、風邪をひいている方が多いような気がします。 季節の変わり目ですから、体調管理には気をつけて下さいね。

さて、先日来、批判が強まっていた朝霞の公務員宿舎の建設を5年間凍結するとの決断を野田総理が下しました。もともと2年前に民主党が事業仕分けで凍結させたものを、野田総理が財務大臣時代に自ら凍結解除をし、そして今回再び凍結を決定。 この経緯を見ていて感じることがありました。それは「政治主導」への道のりはまだまだ遠いということです。

官僚として10年以上勤めてきた経験に照らすと、政治主導の一つのポイントは、政治と官僚との適切な役割分担にあると思います。 すなわち、政治がビジョンを示し、政策の大きな方向性を決断し、官僚に着実に実行させる、そして、その結果については政治が責任を取る。飽くまで道具である包丁(官僚)を振り下ろすのは腕(政治)であり、その主従が逆になってはいけません。

その際、ポイントとなるのが、政治と官僚との「距離」だと思います。 政権交代前の自民党はあまりにも官僚との距離が近過ぎました。 いつしか政策を官僚に丸投げする依存体質が身につき、包丁が腕を振り回すというおかしなことになりました。 一方、「政治主導・脱官僚依存」を掲げて政権を奪取した民主党、すなわち鳩山政権と菅政権はあまりに官僚と距離を取り過ぎました。 「官僚不信」「官僚排除」により瞬く間に行き詰まったのは記憶に新しいところです。包丁を持たない腕だけでは物事をさばくことはできません。 野田総理には、同じ轍を踏まないように、バランス感覚を発揮して頂きたいとの思いがありますが、現実はそう簡単にはいかないようです。

今回の朝霞宿舎を巡る総理の判断がぶれた原因は、やはり官僚との距離が近過ぎた点にあると思います。語弊を恐れずに申し上げれば、官僚に取り込まれ、政治家として主体的に決断することができなかったのだと思います。 断らせて頂きますと、私は、官僚を常に悪者に仕立て上げるメディアの報道姿勢にはいささか疑問を感じています。国家のために死に物狂いで勤務している仲間は大勢います。 しかし、時として省益が国益に優先されてしまう現実や、前例を踏襲することはできても前例を破れない官僚組織の限界も感じてきました。 今、政治主導が求められている理由は、世界が大きく変化する中で、制度疲労をきたしている日本が自ら変わらなければならないからです。 官僚機構が自ら変わることはできません。

にもかかわらず、政治主導がなかなか進まないのは、官僚以外に政治家が頼れるものがないからだと考えます。 つまり、霞が関(官庁街)が事実上、我が国唯一のシンクタンク(政策研究所)となってしまっているんです。 その霞が関の強みは、「豊富な情報量」と「政策の企画立案力」。

情報量については、インターネットの普及により霞が関の優位性は相対的に失われつつありますが、政策の企画立案力については、他の追随を許しません。 したがって、政治が官僚に引きずられ過ぎることなく、より的確な判断を下すためには、官僚の他に、それとは別のブレーンを持つ必要があると思います。そうすれば、官僚機構にも良い意味での緊張感が生まれ、相乗効果が生まれます。

その観点から、二点申し上げます。

一つは、霞が関以外の有力シンクタンクが出現することへの期待です。 例えば、米国では、リベラル系ではブルッキングス研究所、保守系ではヘリテージ財団やアメリカン・エンタープライズ研究所、超党派では外交問題評議会や戦略国際問題研究所といった、名立たるシンクタンクが多数存在します。 これらのシンクタンクは、政治や行政との人的交流が盛んなこともあり、実際の政策立案や世論形成に大きな影響力を有しています。官僚制度の在り方、労働市場の流動性、寄附文化などに違いがあるため、このようなシンクタンクが我が国に育つ環境はまだ十分に整っているとは言えません。そのような中で、先般、畏友である元経産官僚の朝比奈一郎代表たちが立ち上げた「青山社中」などは、その先駆け的存在として大いに活躍して頂きたいと期待しています。

もう一つは、国会議員の定数を大幅に削減する代わりに、その削減額をもって議員一人あたりの公設スタッフの数を増やすべきではないか、ということです。 例えば、米国では下院議員には約20名、上院議員には30~50名のスタッフが存在します。しかも、各スタッフは、法律、経済、広報等の専門家ぞろい。各議員がそれぞれのシンクタンクを擁しているといっても過言ではありません。その証左として、議員一人当たりの法案提出数は日本とは比較にならない数に上ります。 一方、日本では、公費で手当てされる3名のスタッフの他は、私費で若干名のスタッフが存在するのが普通です。米国までとは言わないまでも、議員定数の大幅削減と公設スタッフの増加をセットにして、官僚機構に依存し過ぎることのない、少数精鋭の議員による「筋肉質」の立法府へと生まれ変わる必要があると考えます。

これらの点を含め、政治の力を相対的に向上させる努力を通じ、政治主導を一歩でも前へ進めていかねばなりません。腕が包丁をうまく使いこなせれば、美味しい料理(政策)が出来上がるはずです。

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