債権放棄発言に見るポピュリズム

こんにちは。
小林鷹之です。
震災後にしばらく自粛していた朝の駅頭での演説ですが、連休明けから再開しました。
真冬に比べると、気温は高いし、日の出が早いので、全く苦にはなりません。
ただ、娘が不規則な時間に目を覚ます日は、寝不足のまま駅に向かうので、目の下にクマが出ている日もありますが、いたって元気です!
駅立ち後に訪れた地元の企業。
八千代市の農村地帯でとてものどかな場所にあります。
そこで、社長とお話ししていたら、次の面会相手の方がいらっしゃいました。
よく見たら、ボクシングの元世界チャンピョンの畑山隆則さんでした!
現役時代から、ものすごくかっこいい人だなあ、と思っていた人なので、少し得した気分になりました。
さて、金融機関による東電への債権放棄に関する枝野官房長官の発言。
この問題がいまだ尾を引いています。
発言内容が曖昧なため、詳しい真意を図りかねますが、要は「公的資金の活用については、金融機関による事実上の債権放棄が前提」との立場をとっていると解釈せざるを得ません。
これは由々しき問題です。
確かに、有権者の立場からは、一見もっともらしく聞こえるかもしれません。
しかし、この手の発言は、「金融機関=金の亡者、社会的強者、国民(納税者)=被害者、社会的弱者」という単純な構図の中で、「強きを挫き、弱きを助く」のが政治家としての善であるとするパフォーマンス以外の何物でもありません。
いや、パフォーマンスで終わればまだいい。
金融機関は、法という民主主義のプロセスの中で定められたルールに基づいて東電に融資したわけで、株主責任すら問わないままに、「自発的」(≒半強制的)な債権放棄を主張することは、法治国家としての原理原則を根底から覆しかねません。
ポピュリズムそのものです。
ただでさえ企業、とりわけ市場で社債による大規模な資金調達が困難な中小企業に、十分な資金が行き渡っていない状況なんです。
法というルールそのものへの信頼が揺らげば、金融機関は何を基準に貸し出しを行えば良いがわからなくなり、更なる金融収縮を惹起し、その結果、日本経済が一段と悪化するのは目に見えています。それに海外からの資金も日本を忌避するようになります。
「何となくあいつ(金融機関)が気に食わないから責任を押し付けてしまえ」というのは、いじめと同じです。
一方で、報道によると、被災企業等が抱える二重ローン問題への対策として官民出資による再生ファンド案が浮上しているとのこと。
対象企業の選定方法や債権の買い取り価格の査定方法など、スキームの詳細はまだ見えてきてはいませんが、発想としては評価できると私は考えております。
但し、債権の買い取り価格を巡り、金融機関はできるだけ簿価に近い額での買い取りを希望しているとの報道がなされています。
この点については、一言コメントしておきます。
金融機関がこのような主張をするのは自然ですが、本件については、仮にファンドを設けなければ、ルールに基づき、金融機関は相当程度の損失を被るものと考えられます。
被災企業の担保価値が相当程度毀損しているのだから当然ですね。
そのような中で、敢えて、国民負担が生じる可能性があるスキームを立ち上げようとしているわけですから、納税者の利益を可能な限り保護するために、金融機関に一定のヘアカット(≒債権放棄)等を求めることは理に適っています。
以上のように、それぞれのケースによって、金融機関と国民(納税者)との関係は、異なってくるのが当然です。
何となく聞こえが良いから、というだけの理由で国民を欺こうとする言動を政治家は慎むべきです。
マニフェストの失敗に懲りず、そんな行為を続けていれば、政治への信頼はいつまでたっても回復しないんです。
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