国会議員の定数削減

みなさん、今日も一日お疲れさまでした。

小林鷹之です。

蒸し暑い日が続きますが、 仕事を終えた後のビールが 最高においしい季節ですね。 一日の頑張りが報われる瞬間ですよね。

さて、最近、国会議員の定数削減がよく話題に上っています。 今日はこれについて私見を述べたいと思います。 最近よく聞く議論は、 「消費税率を引き上げるのであれば、まずは国会議員自ら身を切れ」 というものです。 私は、後で述べるように、議員定数を削減することには賛成です。 しかし、本質的な議論なくして、ある種の感情論だけで議論を押し進めるのは適当ではないと思っています。 何故なら、そもそも国会議員は国民の代弁者として奉仕するわけですから、もし、必要以上に議員定数を削減するとすれば、それは我々国民に跳ね返ってくるからです。

だから、まずは、

「国民のニーズを満たすために国会議員はそもそも何人必要なのか」

という議論があるべきではないでしょうか。

勿論、私たち国民の間に溜まったある種の不満を一時的に放出することには役立ちますし、それが意味の無いことだとは思いませんが、それ以上の意義はありません。

この点を踏まえた上で、私は、現行の衆議院480人、参議院242人は多過ぎると考えます。

一つの比較対象となりうるのはアメリカです。

ざっくり言えば、アメリカの人口は日本の約3倍。

そのアメリカの下院(衆議院に相当)は435名、上院(参議院に相当)はたったの100名です。

日本の衆議院や参議院よりも少ない。

人口一人当たりの割合で見れば、日本がアメリカに比べてかなり多いということは一目瞭然です。

それに加えて、 日本の国会議員一人当たりのアウトプット(本来立法府に求められる法案の提出数や質)はあまりにも低過ぎる。 議員が立法するのは当たり前なのに、殆ど例がないから「議員立法」という言葉までが使われる始末。 また、どこかの党のように、多数の新人議員が一人の独裁者の投票マシーンと化すのであれば、別に誰が国会議員であっても良いわけです。 もっと言ってしまえば、このような意識の低い国会議員が存在する意義はないと私は思います。 立法府は国権の最高機関であるとされる以上、 そこで働く各国会議員は、それ相応のアウトプットが求められて然るべきじゃないでしょうか。

但し、今の国会議員によるアウトプット不足の原因を、議員の資質だけに求めるのも、やや乱暴に過ぎると思います。 各議員をサポートする人間、とりわけ政策担当秘書の数が絶対的に足りないんです アメリカでは、下院議員であれば20名弱、上院議員であれば4050名もの政策秘書が国費で賄われます。 各議員をヘッドとした「チーム」が組めるわけです。 首席補佐官を筆頭に、立法担当、政務担当、広報担当等々、複数の担当に分かれていて、その担当ごとにラインがある。 だから、チームとして法案をいくらでも作成できますし、議員本人へのその他のサポートも日本とは比較にならないほど充実しています。 議員同士の議論もとても充実している。

このような観点から、私の考えを簡潔に述べれば次の通りです。

○ 議員定数は半減

→ 衆議院240名、参議院121名。なお、比例制度の存否や選挙区の区分けの扱いなど、詳細な制度設計については議論を尽くす必要ありますが、「比例復活」という制度は明らかにおかしいと考えます。

○ 半減して浮いた財源を、残りの議員へのサポート(公設秘書の増員)に充当

→ 議員関連予算の総枠は維持。各種手当てを含めると議員一人当たり年間約1億円相当の税金が費消されているので、削減された定数分の当該経費を公設の政策担当秘書の増員に充てれば、現行の公設秘書数3名に加えて、10名以上のスタッフを雇用できます。

以上により、官僚に頼り切りの与党と、人員・情報不足によりただNOとしか言えなかった野党の姿を変え、各議員が自分のチームで法案を作成・提出できる仕組みを設ける。そして、国会を本当の意味での「立法府」へと進化させる。少数精鋭の筋肉質の国会です。

結局、定数や議員歳費だけを削減しても、各国会議員の法案作成能力に変わりがなければ、数が少なくなる分、ますます政治が貧弱になるだけです。また、これにより「節約」される金額も微々たる額でしかありません。

繰り返しになりますが、

国会議員の地位にあることだけを理由に、相応の務めを果たすことなく甘い汁を吸い続ける人たちは、早々に政治の世界を退場するべきだと私も思います。

しかし、同時に、 「国会議員はそもそも何のために存在するのか?」

この点を無視して感情論だけに訴えても、私たち国民のためにはならないと私は考えています。

党内でも、国民視線に立った議論を提起していけるよう頑張ります。

みなさんのご意見も聞かせていただければ幸いです。

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