手話まつり
こんばんは。
小林鷹之です。
この週末も地元を走り回る一日でしたが、その中で、八千代市内で開催された「アイ・ラブ手話祭り」というイベントに来賓として参加をさせて頂きました。
メインは、NHK手話ニースでキャスターを務める野口岳史さんの講演。
私よりも10歳近く若い野口さんの講演から色々と感じることがありました。
パワーポイントを使った講演が始まりました。
ろう者の野口さんは手話を使ってメッセージを伝えるのですが、照明の調整がうまくいきません。スライドを見やすくするため暗くすると手話が見えづらくなるし、手話を見やすくするために明るくするとスライドが見えづらくなる。
照明の調整が終えると、野口さんの生い立ちについての紹介がありました。
4055グラムの大型赤ちゃん。
耳が聞こえないことが判明したのは1歳半頃。
聴覚障害を持つ子供が10人いたとすると、うち9人は両親が「聴者」とのことですが、野口さんはいわゆるデフファミリー(聴覚障害を抱えている家族)に生まれました。
両親が聴者の場合よりも、デフファミリーの場合の方が、両親が手話ができることが多いため、子供の手話の技術も早く発達するそうです。
しかし、野口さんの両親は難聴者であり、ろう者ではなかったため、何とか音を拾って会話ができたことがその背景にあったとのことです。妹さんが生まれた当時は聴者(今はろう者)であったため、食卓を囲む際に、野口さんだけが会話から外れてしまうことが悔しくて妹にも手話を覚えてもらい、手話で会話をするように「工作」したと笑っておられました。
難聴者といっても音を聞き取りにくいお母さんを「呼ぶ」ことにも苦労されたとのこと。
声をあげても、物を叩いて音を出しても気づいてくれないので、物を投げて呼ぶ方法を覚えたと。そのお蔭でコントロールが良くなったとのことです(笑)。
最も心に残ったことは、ご両親が野口さんを普通学校ではなく、ろう学校に通わせた理由です。
ご両親は普通学校に通ったのですが、当時、耳が聞こえない、聞こえにくいことは「恥ずかしいこと」とされ、聞こえていないのにわかったふりをする癖がついてしまいました。
そうすると、自分に対して自信が持てなくなり、結果として、心の通じ合う友人ができませんでした。
野口さんの言葉を借りれば、
ご両親は、
子供達には同じ思いをさせたくない。
発音できなくても、勉強が多少できなくても、
心の通じ合う友達をつくって欲しい、
そう考えて、ろう学校へ入学させたとのことでした。
今、野口さんには、おなじ障害を抱えた心の通じ合う友人がたくさんいます。
ご両親に感謝しているとのことでした。
野口さんの講演に先立つイベントの開会式では、私からは、
・先般、障害者雇用促進法が改正されたが、職業安定者などでは手話協力者が不足していること
・自分の経験を踏まえ、米国などではキャプション・サービス(字幕のようなもの)が多くのニュース等に付けられている中で、日本がまだまだ遅れていること
・今臨時国会で障害者権利条約の国会審議が進んでいるので、現実を徐々に改善していけるように尽力すること
を申し上げました。
手話は殆どできないのですが、挨拶に先立ち、
「おはようございます。はじめまして。私の名前は小林と申します。よろしくお願いいたします。」
と覚えたてて拙いものではありましたが、手話でご挨拶をさせていただきました。
野口さんやイベントを開催された多くの方々から、新しい視点と考え方を勉強させていただきました。
ありがとうございました。