鯉のぼり

こんにちは。
小林鷹之です。
今日はこどもの日。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
私にとっては、父親として初めて迎える5月5日。
うちの赤ん坊は男の子ではありませんが、最近になり、ようやく少し立てるようになって、言葉も覚え始めた娘の成長を祝うために、今日はできるだけ娘と一緒にいてあげようと思います。
昔からこどもの日といえば、鯉のぼりが楽しみでした。
風になびく鯉を見ているととてもわくわくした記憶があります。
でも、去年の5月5日が、そんな鯉を見る最後の日になった子供たちがいます。
一週間前の4月28日に、再び東北の被災地に赴きました。
石巻市です。
目的地に向かう途中で、多くの児童が亡くなった石巻市立大川小学校に立ち寄りました。
多くの献花を見て、その日が震災後49日にあたることに気付きました。
108人いた児童のうち、70数名が死亡・行方不明となり、教職員と合わせるとその数は84名にのぼるとのことでした。
大きな揺れの後、津波の襲来に備えて、あるグループは校舎裏の山を登り、別のグループは傍を流れる川にかかる橋(新北上大橋)の方に逃げたとのことでした。
私が目にしたその橋は、立派な橋であるにも拘わらず途中で途切れていて、数百メートル離れたところに流された橋の残骸は、津波の恐ろしさを語るのに余りある光景。
山の方に逃げて何とか命をとりとめた教師の方の中には、津波で流された子供たちに対して申し訳ないとの思いから、命を絶った方もいると伺いました。
既に体をなしていない小学校の跡に、それとなく置かれていた鯉のぼり。
どなたが置いたのかは分かりませんが、無限の可能性を秘めた多くの無辜の命が奪われたことがやり切れなくて仕方ありませんでした。
つい先程、参加させていただいた八千代市の少年野球リーグの閉会式。
多くの少年たちは充実した笑顔でグラウンドに立っていました。
監督・コーチといった指導者の方々や多くの父兄の方々に囲まれて。
八千代の少年たちと大川小学校の少年たちとの間には特段のつながりはありません。
ただ、八千代の少年たちには、本来であれば20年後、30年後に、日本の社会を共に支えていくはずであった同じ年頃の「仲間」たちの分までも、一生懸命に生きて欲しい。
そして、一生懸命に生きる子供たちを、大人たちが一生懸命に支えていかなきゃいけない。
そんな思いを抱かずにはいられませんでした。
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