わが国が抱える脆弱性の解消に向けて~感染症対策は安全保障~
1月29日に、欧州委員会がEU域内で生産された新型コロナウイルスのワクチンの域外輸出を管理する措置を導入しました。この措置については国際社会で賛否があろうかと思いますが、平時においてわが国と価値観を共有する国々であったとしても、緊急時にはまずは自国や域内を優先する行動に出ることはある意味自然なことでもあります。
もし、EUと同様に米国も英国も自国で開発したワクチンの輸出に制限をかけたらどうなるのでしょうか。わが国の国民を助ける手段がなくなるということに繋がります。
昨年の感染症発生当時から、私は、国として国内製薬メーカーやIT企業等のオールジャパン体制でワクチンや治療薬の開発に取り組むべきではないのか、その際には国として国産ワクチンの買い取り(備蓄とする)をするべきではないか、感染症対策は安全保障である、と申し上げてまいりました。昨年4月の衆議院厚生労働委員会でもその認識の下に質疑に立たせて頂き、現行の「国家安全保障戦略」に感染症対策の基本方針の骨格を入れるべきと提案しました(「感染症」という言葉は一語ありますが自国での蔓延を想定した書き方にはなっていません)。
また、私が事務局長を務めている「新型コロナウイルス関連肺炎対策本部 感染症対策ガバナンス小委員会」として昨年10月にまとめた提言にも、「感染症による健康危機を国家安全保障の一課題として位置づけるべきである」「感染症に係る対処方針については国家安全保障戦略を改定し、同戦略に明確に盛り込むべきである」と記載しています。(https://www.jimin.jp/news/policy/200661.html)
今回のコロナ禍でわが国も一時、調達に苦労したマスクや医療用ガウン等の備品のみならず、国民の命を守るために必要なワクチンや治療薬を自国で賄える体制を整えておくことは国の責任です。
ワクチンについては、現在、ファイザー、アストラゼネカ、モデルナ等の欧米の製薬メーカー(中露のワクチンもありますが)が先行しています。残念ながら、わが国の製薬メーカーについては、速いものでもまだ治験段階です。今回のコロナの収束に向けてのみならず、将来において、より致死率や感染力の強い未知のウイルスがわが国や世界を襲う事態に備えて、国内の状況の改善に向けて対策を講じなければなりません。
現在、政府はファイザー等のワクチン量産体制が整った企業からワクチンを輸入する契約を結び、ワクチン接種体制の整備に取りかかっています。実際の輸入価格はわかりませんが、もし国産ワクチンが開発されていれば、高い交渉力をもってその輸入量や輸入価格にも反映されたと思います。結局、海外の製薬メーカーに多額の支払いをするのみで、日本には何も残りません。すなわち、政府の全面的支援で国産ワクチンが開発されていれば、技術やノウハウが資産として残り、将来の危機に対処する基盤と国民との信頼関係も構築されたと思います。
米国も国としてワクチン開発のための多額の資金を投入したからこそ、製薬メーカー各社はしのぎを削り早期の開発に至ったのだと思います。わが国のように民間企業のみに任せていては状況は改善しません。何故なら、民間企業が担うにはリスクが大き過ぎるからです。莫大な投資をしても、研究開発が成功し、事業化に至った時点で、既に感染症が収束していれば、多大な損失を被ります。施設を維持するランニングコストも大きい。
だからこそ、繰り返しになりますが、私は、こうした場合に、国が買い取り、備蓄をし、定期的に買い替えるといった制度を構築するとともに、施設のランニングコストについても一定程度国が支援をする仕組みを構築することが必要だと考えます。この点は先の国会質疑等においても政府に提案をしましたが、いまだその動きは見えません。
また、国民の命を守ることを前提とした上で、今回のように国際社会が危機に陥った時に、日本が助けられる側ではなく、助ける側に立つことはとても大切なことです。今回の例で言えば、ワクチンの提供される側に立つのではなく、提供する側に立つことです。技術のある日本はその立場に立てるような努力をする責務を負っていると私は考えます。
国の財政状況が厳しい中ではありますが、これは国民の命を守り抜くという意味で安全保障です。経済合理性を完全に無視しろとは申しませんが、そこにこだわっている限りわが国の脆弱性は改善されないとの認識を国民の間で広く共有する必要があります。その責任を果たすのは政治だと思いますので、これからもその思いの下に行動してまいります。